自己紹介(40代)人生最大のピンチ
もう自己紹介はいいよ(笑)って感じですが自己紹介はこれが最後で前回から現在までを書きたいと思います。
会社倒産
なんやかんやで社長になり、自分なりに頑張ってきましたが最終的には倒産しました。
原因は売上低迷と前社長とのトラブルです。
私が思う原因は以下の事なのかなぁと反省しています。
- 借金
元々、会社に借金があり例えば赤字でも返済原資があれば耐えられます。
でも返済原資は売上です。一定以上の売上低迷が続けば資金繰りが苦しく
なります。私の会社では年間売上が8億を切ってくると資金繰りが苦しく
なってきました。
- 営業力の低下
個々の営業担当に頼っていた為、退職してしまうとすぐに担当エリアの売上
が無くなってしまった為。営業経験が乏し私に統率力がなかったのでしょう
- 異業種への進出
今の現状を打破しようと、新規事業への投資に失敗した為。
事業の軸を忘れて、畑違いの事業を行えば成功すはずはないのでしょうね。
- 前社長とのトラブル
一番の原因なのですが、昔会社が前社長よりお金を借りている事になって
いました。中小企業ではよくある話なのですが資金が足らない時は経営者
個人のお金を会社に入れるみたいな感じで帳簿上は短期借入金な感じです
かね、通常は会社の資金に余裕があるときに返済するのですが・・・
ところが資金繰りが一番苦しかった時に前社長が突然あらわれて、貸して
あったお金を返してもらうよ、って事で預金を引き出してもっていってし
まいました。
そんな事すれば会社がどうなるのか分かっているのに、1週間後の手形決済
資金がありません。意味不明なのと怒りと、今まで社長としての緊張の糸が
切れたみたいにもうどうでもよくなりました。
以上の理由で手形決済資金を再度準備することもできずに不渡りを出し、会社を破産させることにしました。
倒産ってどんな感じ?
会社が倒産するって、そりゃ私も初めての経験なのですが、なんせ手形決済できずに不渡りまで1週間しか期間がないのですが心の準備もする間もありません。
どうしようって思って、弁護士さんに依頼すると以外に淡々としたものでした。
- 不渡り当日
朝、従業員がいつものように出勤して会議室へ集まってもらい会社が倒産する
事を伝えました、事情とこれからの手続きを説明するして、みんなに帰宅して
もらいました。意外にみんな何も言わず帰っていきました。
※弁護士さんの話では従業員へは事前に倒産すると伝えれば噂が広まる為、
当日に話して下さいとの事でした。
みんなが帰宅すると、会社の玄関にこれからの件が弁護士に委託しましたの旨
の張り紙を張って私も会社をでました。
- その後
結局あとは私も自宅待機で特にやることはなくすべて弁護士さんが対応して
くれました。
不思議なのが翌日には新聞に載り、情報ってどうなってるのかなと不思議で
した。
もちろん、私の携帯電話には取引先からの連絡がたくさんありましたが、弁
護士さんに全て任せているので個別対応できずに電話には出る事はできませ
んでしたが、無茶な取り立てはあまりありせんでした。
意外でしたのは、金融機関でした。
クリーンなイメージがあるのですが、私の自宅まで来てどうなってるのか
説明してくれとの事で結構強引でした。
あとの倒産の話は長くなるので後日お話しいたします。
- 自己破産
もちろん会社倒産により、金融機関借入の連帯保証人ですので私も自己破産
いたしました。※こちらも後日詳しく
転職
会社が倒産し破産処理の無事終了。
新たな人生をと言うことで、転職サイトより紹介エージェントを利用しまして転職して普通のサラリーマン生活を始めました。
現在
何事もなく、5年間サラリーマン生活を行ってきました。
ですが、突然弁護士を名乗る方から連絡がありました。
「あたなたに1億円の返済義務があります。」
との話でした。
会社を経営していた時に個人的にお金を預けてくれたら投資運用で増やすみたいな、ダメな話ですが当時は会社の資金繰りに必死でダメとは思いながらまた実際にすぐに増やして戻そうと考えていましたが、会社倒産でゴタゴタになりまた弁護士さんが処理してくれていると思っていたのですが、個人での話でしたので会社倒産処理とは関係ない事でしたので、処理できずに残っていました。
しかも、認めなければ詐欺罪として刑事告訴しますとの話です。
今更、「えっ」と思いましたが、事実は事実ですし反論はありませんでしたので、認めて返済計画を立てて返済していくことになりました。
返済が滞ると刑事告訴を直ぐに行うとの約束でした。
と、言う訳で周りに迷惑がかかると思い、勤めていた会社も辞め。
奥さんにも説明しましたが、やっていた事に嫌気をさされ、告訴の恐れもあるとの事ですぐに家を追い出されて離婚することになりました。
が、今の現状でこれからどうするのか模索中です。
現在、無職でなんのとりえもなく、ちゃんと乗り越えることができるのかなぁと不安いっぱいの毎日を今過ごしています。
自己紹介(30代)人生第二のドタバタ!
自己紹介パート2
さてさて、30代、40代をどう過ごして来て借金が現在1億円あるか自己紹介の続きをさせていただきます。
前回にお話しさせていただいた通り、飲食店の会社の売却により退職し、以前の会社の先輩の紹介で文具や事務機器を販売している会社に入社しました。
そこでは営業が出来るタイプではないので事務系の仕事をしていました。
最初は納品書の発行や受注入力をひたすら地味に何年もやっていたのですがどうしてなのか最終は調子に乗ってしましって社長にまでなっていました。
しかも、年商数十億円にもなりなかなか我ながら頑張った30代だったと思います。
現在はみなさんも会社などで利用された事があると思いますが、会社などで利用する文具や事務用品はアスクル、カウネット、たのめーるなどのカタログ通販で購入するのが当たり前だと思います、当時はそういったものがなくボールペン1本から注文があれば配達するといった業界でしたのなんて効率の悪い業界だったのでしょうね!
しかし、今ではあまり見かけないですが近所に文房具屋さんがあったのを覚えていますか?
コクヨなんかの看板を掲げてやっている所が近所に必ずありましたね。
文房具って定価販売が当たり前だったので当時は配達してもある程度は儲かったのです。
今では、個人ではネット販売やスーパーや100均で安く購入できるし、会社ではカタログ通販で安く購入できる事もあり厳しい業界になっていると思います。
今だから話せる当時の暴露話
文具・事務用品を販売している業界だけじゃないかもしれませんがこの業界って地元の会社に納品するだけじゃなく、役所の注文も受けている会社がほとんどだと思います。
市役所や県庁、国の機関から注文をもらうには業者登録をすればどこの会社でも注文をもらう事ができます。
登録すれば、定期的必要な商品(ボールペンやコピー用紙などは)は単価契約といって今年はいくらで販売するって見積もりを提出して一番安い業者より1年間は役所は購入することになります。やっぱり役所って使用量も多いので一定の売上がありますのでどこの業者も役所との取引は必須たっだと思います。
ですが、世の中競争です一番安い見積もりを出すには安く仕入れなければいけません。
そこは、メーカーと地元業者との話し合いで今年はここの業者がこの商品をこの価格でって言う、はっきりいって談合ですね。
それは今でもあると思います。
ですが、私の考えですが談合って税金の無駄遣いって言えばそれまでですが、他府県の資金力のある会社が役所の業者登録出来ます。そういった資金力のある会社に地元の業者が価格で競争できません。
地元業者がお互い共存すると言う意味では必要な事なのかなぁと感じます。
それよりも、ダメなのは現在もなくなってる訳もないのですが、
裏金です。
2000年前半にニュースで一時問題になりましたが役所も裏金問題です。
特に文具事務機器販売業者は消耗品の販売ですので役所との裏金作りに協力する所が多かったです。
私の会社もそうでした。
こんな仕組みです。
例えば、年間契約しているコピー用紙の注文があります、実際には納品しないで役所には請求書のみを提出してお金が入金されます。
そのお金を業者がプールしておくって仕組みです。
役所のメリットは?
例えば、役所のパソコンが壊れて新しく購入しなくてはいけません。
そんな時は役所はいろいろな書類を提出して入札をしなくてはいけません。
そうなれば実際に購入できるのは2.3か月先になってしまいますから手間も考えたら仕事になりません。
そういう時にプール金より購入することによりスムーズに購入できる為、全国で慣習化していました。
あとは、予算消化目的です。
よく聞く、予算を消化しないと翌年に予算が減る為、裏金で帳尻をあわしていました。
業者のメリットは?
業者は入札する事なく販売できるので、ある程度高い金額で販売できます。
また、役所は裏帳簿ですので担当者が移動で引き継ぎがないとお金を預かったままと言うことがあります。もらい得です。
一番最悪なのは
役所の担当者にプール金を直接返す事です。
裏金すべてはダメな事ですが、これは役所の担当の個人にお金を渡す事なのでただの横領なのですが立場の弱い業者は言われるがままと言うことです。
ある時期その慣習が問題となり今は少なくなっていると思いますが役所ってそういう所ですので完全になくっていないと思います。
余談、私が一番記憶に残ってる想い出ですが。
当時は現金での支払のやり取りもあったので年度末に1億円の現金を役所からプール金として預かり、その場でボールペンやらコピー用紙やらの細かい領収書を書くのに大変な思いをした想い出があります。
さすがにこれはいいのかなぁってなっていましたが・・
社長になった経緯
会社の話はここまでとしてなんで社長になったかと言うと、仕事をしていて自信がでてきたからです。
入社して、地味な事務の仕事をこなしていたのですが、経理をするようになれば会社の状態がわかるようになり、いろんな経営改善や営業に関わる助言もするようになり立場が強くなってきました。
そんな時に倉庫の整理をしようと思い、古い鉛筆やノートの廃棄物をどうせ捨てるのだったらヤフオクに出品してみようと考えました。さすがに今でしたらメルカリなどの多少は売れると思うのですが当時のヤフオクでは全く売れませんでした。
ところが、ある事務機器メーカーより無償で提供してくれる物があり、倉庫に沢山転がっていて、普通の人ならばなんの価値もない物なのですがついでに出品したらそれがすぐに落札されました。
最初は「えっ」って思って、だれが欲しがるねんって疑問に思っていましたが、続けて出品すれば、また10分以内に落札!
しかも、0円のものが5,000円で・・
結局、倉庫に廃棄しようとしたその物すべて出品したら500万円になりました。
また、なくればメーカーより貰えて売れるしで永遠続けられて会社が儲け続けられる物を見つけたとミラクルな物を見つけてしまいました。
そのような時に当時の社長が田舎に別荘を購入して愛人と住みたいって訳わからん無責任な事を言われました。
会社の借金も沢山あり普通の考えては思わないと思うのですが、それを聞いて「じゃあ、私が会社を引き継ぎます。」って言ってしまい社長になってしまいました。
私も、ミラクルな売れる物も見つけ調子に乗ってしまったのと売上がある安心をしていた事もあり引き受けてしまいました。
当時、ITが急激に進んできて私もそれを取り入れて新しい変革を実施していって前社長がついてこれなかったのが前社長が辞めたいと思った理由でもあったと思います。
それが社長になった経緯です。
何十億も年商がある会社規模の話ではない気もしますが、私の周りの登場人物ってそんな訳わからん人が多く、人生ってそんなもんやろねーってね!
それが30代の経験です。
次回は40代。
会社を倒産させて、自己破産した経緯から現在までを書きたいと思います。
自己紹介(20代)人生第一のドタバタ!
自己紹介させていただきます。
実は現在40代のおっさんです。
過去を振り返ると、どうして今こうなったかを反省したいので少し長くなりますが私の事を分かっていただだければと思います。
どうして借金があるの?
それはまたのちほど・・・(めちゃしょうもないけど)
関西在住です。昨年に訳あって失業と離婚と借金をしてしまい2019年は最悪な一年でした。
まぁ、人生を振り返るとそうなるかーって思うのだけどそうなるのやろーね!
では、人生を振り返ってみます。
-
青春時代
中学時代は至って普通の真面目な子!
小学校からの友人はタバコ吸ったり彼女出来たりバンドしたりでみんな青春って感じなのを横目で見ながら過ごす。
高校時代は多少頭が良かった為、小中からの友人達とは一人違う高校であまり友達も出来ずにバイトに明け暮れる。
高校卒業後は専門学校へ・・
-
20代前半
専門学校も特に思いでもなく高校からやっていたバイトに没頭する。
※ちなみにバイトは1件しか経験なく某有名全国チェーンのドーナツ屋さんでした。
それが、当時は深く考えてなかったのですがフランチャイズチェーンなのですが店長とその奥さんが店を任されており、なんかみんな家族のようなアットホームなバイトでした。私は16歳から25歳ぐらいまで結局10年ほど働いていたのですがバイトにも仕事の出来によってランクがあり、なぜか私は最後まで最低のランクと言うおちゃめな事してくれる店長でした(笑)ちなみに高校生時代の時給は450円でした。今では考えられないですね!
余談ですが、その店はもうなくなりました。
聞いた話によると、店長が店の売上を持ってバイトの女の子と逃げたとの事で店が終わってしまいました。
話を元に戻すと・・
20歳の時に初めて彼女ができる!
また、バイトでの話ですがバイトで一緒だった当時高校1年生だった子に告白されて初めて彼女が出来ました!
今、考えると全くカッコ良くなかった私にどうしてと思いますが当時私も専門学生でアメリカンバイクや昔流行ったスポーツカーに乗っていたので高校生から見れば年上のお兄さんは憧れるのかなぁと・・
結局、彼女が高校を卒業するまで3年間付き合って、結局振られて別れました!
でも、その子との別れが私の人生の中での一番の影響があり今でも好きなのかもしれません。だから私がその後もっといい男になろうという一心で今まで頑張ってきたのと多少の無茶をしてでも彼女を見返したい気持ちのだけで今まで来ました。
そう、ただの未練がましいカッコ付けなだけでした。
その後、すぐに元奥さんと出会いすぐに結婚もしました、もちろん恋愛感情もありましたが心のどこかで元彼女に対しての見返しだったのかもしれません。
最低ですよね!
そんなどうでもいい人の恋愛話はいいとして・・
仕事は何してたの?と言うと・・
20代前半は遊んでばかりしていました。
頭をリーゼントにして革ジャンを着てツイストを踊るロカビリーが私たちの間で流行っていて、街で踊っていました。今考えるとかなりダサいのですが・・・
当時、定職には就いていたのですが、ちなみに会計事務所!
全くやる気がなく遊んでばかりいました。
そんな時、いつものように街で踊っているとある怪しいおっさんから声をかけられました。「そんな踊る元気あるのやったら一緒に仕事しやんか」です。
めっちゃ怪しいのですが、私もグレていた訳でもなく楽しい事を探していておもしろそうだったので話を詳しく聞いてみました。
その人は元々は都市銀行出身者で銀行から銀行系のコンサル会社に移動になりコンサルタント業務を行っている人でした。
都市開発を主に行っており、ある地方の人が少なくなった商店街を復活させようとしていましたが会社勤めだと出来る事が限られるとの事で自分で独立して地域活性化を行うという夢を持ってるものすごく情熱のある方でした。
で、話は商店街の商用ビルに飲食店を開店するので一緒に手伝って欲しいとの事でした。
私は若さもあり、そんな夢や情熱をもっている人とは当然出会った事がなく、日々何も考えないで生活していた私に刺激を与えてくれると思い、その人について行く事を決心しました。
それが人生第一のドタバタの始まりでした。
会計事務所を辞め、その人の会社に行くと他に二人の方がいました。
二人は幼馴染っぽく昔からの知り合いでその二人も誘われて来たみたいでした。
のちにその二人は私にとってはものすごく大きな存在でいくら努力しても追い抜けない存在です。
現在、一人は上場企業の役員、一人はいつまでも夢を貫くバンドマン。
そして、四人でのドタバタが始まりました。
当初は商業ビルに出店するオーナーを募集しようと言うことでしたが、人がいない商店街に出店してくれる人なんか簡単に集まる訳もなく、しかも社長はビルオーナーと出店の約束もしているので時間がありませんでした、仕方なく四人で話会い自分たちで出店しようと言う事になりました。
資金も一切ない中での無茶苦茶な計画でしたが、結局半年後にオリジナルの居酒屋2店舗、フランチャイズでのファーストフード、フランチャイズでのイタリア料理店、オリジナルでの中華料理店、ライブハウスの6店舗を一気にオープンさせました。
資金はすべて借入でさすがに元都市銀行出身の社長でしたので資金調達のプロでした。
そりゃもう毎日がドラマのようでみんな飲食店のノウハウなどなく目の前の問題をクリアしていく日々でもう無茶苦茶でした。
開業準備、フランチャイズ契約、許可申請、工事業者選定、人材集め。
フランチャイズ店はある程度本部がサポートやノウハウを与えてくれましたがオリジナルの三店舗はメニューとかとうするんって感じでした。しかもライブハウスなんかただの趣味やんってね(笑)
結論、無事に開店する事ができました。
正直、大変でしたが楽しい時間を過ごせて経験でした。
ようは仕事ってやらなあかんことはやらなあかんであってしかもなんやかんや出来てしまうって事です。
時代背景もあると思うのでが当時はインターネットも携帯電話も出始め、ビジネスもアナログで単純だったので勢いだけで良かったのかもしれません。
今と違って効率化なんか考えないで無駄な事を無限に繰り返していても結局ゴールにたどりついた時代だったかもしれません。
でも、今でも大切なのは、出会いや仲間、目的達成に向けてみんな同じ方向での熱意や仕事の目的が分かっていればどんな仕事でも楽しくやりがいが持てると思います。
よく、朝礼で会社理念や行動指針を唱和する会社があると思います。
なんだか古臭くてどうせ対外的なアピールやろって思ってしまいますが、おそらく社会にとって一番大切な事が書かれて、その通りに実践するべきだと思います。
また、職場には嫌な上司や不平不満が蔓延していてなんだかどんよりしている会社で淡々と仕事をこなしている方も多いと思いますが、嫌ならば自分で変えてみる、それが無理なら我慢しないで辞めてもいいと思います。
今の時代はなんでもありのなんでもできる時代です、選択肢は沢山あります。
いい出会いや仲間を大切にする事が今何かに悩んでいる方は求めるべきだと今振り返って感じます。
借金あるおっさんが言うなってね!
で、5年後
話がそれましたが、店が開店してやれやれと思い、私は会計事務所出身者と言うだけでなんの資格も知識もあまりなかったのですが、いつのまにか経理や総務のバックの仕事の担当になり5年間無事に過ごしてきました。
しかし、商売は順調という訳ではなく、目的の地域活性化は一企業では無理なのかなぁと感じていました。フランチャイズ店はブランド力が強力で地方と言うこともあり行列ができ、居酒屋は穴場的な存在で若者が増えてきました。ですが問題は昔からの商店街の経営者。若者が集まると治安が悪くなるからとよく思ってくれなくて、イベントを企画すると反対。そりゃ過疎化するわって!
商売がダメだから辞めるところも沢山ありそれは仕方ないのだけどやる気のある人に場所を貸さなくてシャッターを閉めて何もしない、意味がわからないのだけどそりゃその辺の商店街もシャッター街になるわなって。
そんな事を感じながら、何でもそうなんだけど、ブームってありやっぱり5年が限界かも、特に飲食店なんかは飽きられるのは目に見えていたのだけど、なんせオール借金で運営していた会社でしたので財力がなく、新しい事をする力もありません。売上減少で返済ができなくなる現状でした。
と言う事で、私も経理をしていましたので一番内情が解っていました。5年後にはかなりの危機的状況でした。
今の店のレジにあるお金から支払をするなど給与・支払遅延が当たり前になってきていて、当座預金なんかはいつ資金ショートするのか毎日ひやひやしていました。
銀行が閉まる平日の3時以降と土日しか安心する時間はありませんでした。
しかも現金商売です。毎月決まったお金があるとは限りません。そんな中いよいよダメなかって言う時に・・・
社長の自殺未遂
社長はコンサル出身です。メガバンク系列のコンサル会社でしたが出向で世界一のコンサル会社のマッキンゼーにいたこともあるようです。
しかも、それをずっと自慢していつのまにか取引先にもマッキンゼー出身と言う事になりそれを言っていたら、本当にマッキンゼーから違うやないかってまじで訴えられていました。
そんなのはどうでもよく笑話なのですが・・・
ある日、社長がアメリカでのコンサルの仕事が決まったので契約金で借金を返済してあとはおまえら自由に会社をやってくれって話がありました。
え、っと半信半疑でしたがなんせ頭だけはいい社長でしたので借金がなくなるならと思い信じる事にしました。
そして、会社を去る朝、社長がみんなにお別れを言いに会社に来てあとのことは銀行の貸金庫に書類あるから見といてくれって言いながら会社を出ていきました。
ずっと、一緒に頑張ってきてあっけないなぁって違和感たっぷりでしたがこっちはいつものように支払と預金管理に必死だったので別の事を考える余裕がなかったのが後悔でした。
そして、3時が過ぎ銀行も終わりやれやれと思い、ふと社長の机の引き出しを見ると遺書がありました。貸金庫違うんかえーって少し思いましたが、早く気付けーって事でもあったのかなと思います。遺書は今後の事を本当に事細かく書いてありました。
そこから私は必死で社長を探しましたが見つかる訳もなく、どうしよーって焦ってばかりいました。
夜中、警察から電話があり、ホテルの駐車場で社長が車に排気ガスを引いて自殺しようとしていた所、誰かに見つかって未遂に終わったとの事でした。
そして、病院まで迎えに行き、先に到着していた当初からの仲間に「なにしてるんやー」って殴られていました。
帰りは私の車で一緒に帰りましたが、車の中でお互い一言だけ会話をしました。社長が「生命保険金で借金を返済しようと思った、間違ってるか?」私は一言「いいえ」あとは3時間の道のりをお互い無言で帰宅しました。
会社売却
そんな事件があり、では会社をどうすのかを幹部社員とずっと会議をしましたが、会社と潰すしかないという結論しかありません。
ですが、ミラクルが起きました!
全ての事情をフランチャイズで行っていた店舗の母体会社に相談すると会社を買い取ってくれるとの事でした。交渉次第で借金が残るかもの懸念もありましたがそこは経営者の責任で社長は生きている限り返済できると思っていたので、一番気になっていたのは倒産すれば路頭に迷う従業員でした。
どういう売却条件になるのか調査次第との事で残る道はそれしかないと思い売却を承諾しました。
その時の状況は今で不思議で記憶に残っているのですが、承諾の翌々日、事前資料などなく東京から10名ほどの公認会計士や弁護士など会社に来社して朝から会計資料、資産資料、経営資料などの調査が始まり夕方には結果が出て無償売却、従業員は面倒みます、負債も面倒みますとの事でした。赤字会社の何の価値もない会社にそこまでよくしてくれて、本当に感謝しました。そして突然現れて突然去っていくスピード感にこれが東京の仕事かーって感銘を受けました、カッコ良過ぎでした。
しかも、そこの会社に支払わなければいけない溜まっていたロイヤリティーだけは社長が支払えってそこは「えっ」なり「借金は清算してくれるのにそこはあかんの」ってなりましたが事業に失敗した社長に対しての最低の責任は取れってことなんだろうってこれもカッコ良いーって思ってしましました。
忘れてた問題点
これで、一見落着と思って事務所を片付けていたら、みんなある事を思い出しました。
以前、資金調達に困っていた時、ある時出会った投資家に売却したフランチャイズ店舗の権利を半分譲り利益を折半する代わりに投資して下さいとお願いした所、投資をしてくれました。実際に利益を折半して支払を行っていました。
もちろんそんな契約フランチャイズ本部に報告しないで勝手に出来る訳もなく報告しても承諾してくれる訳もありません。
「会社売却したし今後どうしよー」って悩んでいましたが、そりゃすぐに本部にもバレます。「どういう事ですか?」ってなり正直に事情を説明しましたが、「検討します。」の返答ででした。
しばらくすると、投資家が交通事故で亡くなりました。との連絡があり一瞬みんな「え!」なりましたが、これ以上話をしてはいけない感じでしたのでみんなこの会話はあとでも一切していません。
本部も「検討します」からこの話の連絡は一切なく何事もなかったかのようになっています。
当時、私も26歳の若さで何もかも受け入れれる精神の強さもありませんから震えていましたが想像で物事を理解してはいけないので偶然だと今でも思っています。
そんな中、私も突然大きな会社に一度は移籍しましたが、レベルの高い会社に合う訳もなく新たな人生を探そうとすぐに退職しました。
また、次回に自己紹介パート2を書きたいと思います。